5/2。業者さんが到着する前に、念の為集会所が借りれるかどうかの確認をすることに。まずは集会所に直接出向いてみたのですが、案の定お休み。管理事務所や緊急連絡員に連絡を試みたのですが、管理事務所は留守電だし、緊急連絡員は留守(緊急連絡員をおく意味ねーじゃねーか)のため、やはり集会所の件は断念。その旨を業者に伝え、代替案を検討したのですが、まず火葬場に隣接してる施設については、空きが出来るのが5/7以降なので却下。その他の会場等も、宗教上の縛りなどが多く(この宗教上の縛りっていうのは、かなり曲者)なかなか上手い具合に押さえることができず、最終的には川崎の外れのお寺の施設を借りて執り行う事に決定(つーか、他に選択の余地無し)。連絡要員として会社の方に残っていただき、俺と親族は件の施設を下見に。
 ここで、何故か俺だけが業者さんの車にて移動(親族の車にも乗れるスペースがあったにもかかわらず)。道中、親身に世話をしてくれる業者さんに心ほだされるも、今にして思えば、あれは老獪なテクニックの一端だったと認識。この辺は最後にまとめて書きますが、どんなに優しく親切であっても、業者さんはプロなのだ、という事を忘れてはいけない。今回、俺がしみじみ感じた教訓です。
 車で30分弱ほど行ったところで、到着。思ったよりも小奇麗な建物で、ノリとしては公民館とかのミニチュア版といった体。メインとなるスペースは、全面で椅子を100脚強ほど設置できるぐらいの広さ。ここでも会場のレンタルの選択を迫られましたが、仏式みたく読経がある訳ではなく、基本的に献花するのみなので、全面を借りる必要も無いと判断し、半面を借りることに。
 下見を終えた後は、具体的な形式を決定。祭壇のグレード(上は300万から下は26万ぐらいまで、トータル10段階)会食用の料理のコース決め、祭壇の周囲を彩る花籠の発注(洋花・和花・デザイン等)献花の花の本数、礼状のデザインや枚数、礼状に添えるお土産(ウチはQUOカードにしました)etc.etc...なんかもうワケわかんないぐらい色んな事を決めなくてはならず、知恵熱が出そうでした。
 ともあれ、そのことごとくを俺が決めない事には話が進まないので、自らの財政状況を鑑みつつ(香典なんてものをアテにしてはいけない)ギリギリの範囲で予算を編成。幸い支払いはG.W.明けなので、当座の必要経費(式場のレンタル料だけは、当日払い)を口座から下ろし(ちなみに、20万・・・火葬場の式場とかなら6万ぐらいなんだよね。だからひくてあまたなワケですが)資金的には準備万端。
 下見や見積もり、明日以降の日程の協議(5/3 18:00からお通夜、5/4 10:30から告別式)を終え、業者さんと別れ、急ぎ帰宅して連絡三昧。人海戦術で電話かけまくり。そんなバタバタしてる現場に、父の会社の社長が到着。エネルギッシュなお方で、ガンガン現場の会社の方々をしきりまくり。明日以降の人的援助も約束してくださり、ひとまず人員面での不安は解消。一応のメドがたったところで明日に備え、17:30頃解散。
 ようやく独りになり一息ついたところに、一本の電話が。筍採りに同行した方からでして、俺がお願いしていた現場への道案内をして下さるとのことだったので、18時頃待ち合わせの約束をする(ウチの近所にお住まいだったので)。約束の時間きっかりに現れたのですが、相変わらずいささか憔悴した面持ちでちょっと心苦しさを感じつつも、供える花と父の愛飲していたビール(ちなみに、サントリーのモルツ)の買出しにちょっと付き合ってもらってから、現場へ。
 5/1は動転してて気付かなかったのですが、ウチから意外なほど近場でした(歩いて10分ぐらい)。が、肝心の現場は鬱蒼とした奥まった場所にある斜面で、恐らく独りで採りに行っていたら、未だ(5/2)見つかっていなかったのでは?と思えるような場所でした。皮肉な事に、父が倒れた場所の上の方には筍が頭を覗かせていまして。色々複雑な気分になりましたが、花を供えビールをかけてやる事により、ちょっとは肩の荷が降りたというか。
 お礼をいって案内してくれた方と別れ、のんびりと帰路につきます。陽が沈んだとはいえ、夜の帳がおりたとはいえないぐらいの微妙な時間。連休の最中ということもあり、親子連れの姿が目に付きます。その無邪気であどけない姿に、なんとはなしに過去の自分の姿を照らし合わせてしまう辺り、まだちょっとヤられちゃってるのかなぁ、なんてぼんやりと思いつつ、いつもよりもちょっと遠回りしながら帰宅したのでした。