5/3。いよいよお通夜だが、ウチから父を搬送するのは午後の予定なので、お通夜の最終的な支度にとりかかる。まずはお通夜の際にかけるBGMの編集。そんな場で音楽をかけるなんていささか不謹慎な気がしたのだが、業者さんの提案に親族も賛同したので(意外だった)代表して俺がチョイスすることに。
 父は、音楽に対しては懐の深い人だった。だって、俺が聴く音楽を普通に聴いてたんだから。67歳でLOS CRUDOSやGOVERNMENT ALPHA、JOY DIVISION、I've、NujabesPLANETARY ASSAULT SYSTEMSなんかを普通に聴いていた人なんて、世界中探したってそうはいないだろうw。そんな中で、父が特に気に入っていた曲(もう一度聴きたいとか、今のなんてグループ?とか、リアクションの大きかった曲)を更に絞り込んで(幾ら気に入っていたからといって、MY BLOODY VALENTINEの"Soon"とか、GORILLA BISCUITSの"Things We Say"とか、BAD RELIGIONの"Skyscraper"とかは、なんぼなんでもかけられないしなw)最終的に下記の楽曲を収録。
M-1 THE Oscar Peterson TRIO "This Nearly Was Mine"
M-2 THE Oscar Peterson TRIO "Let's Fall in Love"
M-3 Gary Moore "As The Years Go Passing By"
M-4 BAD BRAINS "I and I Survive"
M-5 Jeff Beck "Cause We've Ended As Lovers"
M-6 BAD BRAINS "Leaving Babylon"
M-7 THE Oscar Peterson TRIO "Little Right Foot"
M-8 BAD BRAINS "I Luv I Jah"
M-9 JOY DIVISION "The Eternal"
M-10 Gary Moore "Still Got The Blues"
M-11 和泉 宏隆 "In The Arms of Morpheus"
 Oscar Petersonは、父のお気に入りだった。その中でも"The Oscar Peterson Trio Plays"はよくかけさせられたので、そこから数曲ピックアップ。
 Gary MooreやJeff Beckは、プレイ・スタイルが気に入っていた模様。Gary Mooreの"Still Got The Blues"は、よく酒を呑むときにかけさせられた。
 で、BAD BRAINS。夏場、父は朝もはよから出かけていき、江ノ島でまったり釣りをしたりしながら黒コゲになるまで焼いてくる、というのが生きがいでして、帰りにウチに寄ってはBAD BRAINSを聴きながら酒を呑み、ナイターを愉しむというコンボをキメていました。Reggaeが好きっつーよか、BRAINSが好きだったみたい(Bob Marleyとかよか、明らかにH.R.の方が好きだったし)。このときの父は、いろんなイミでカッコ良かった。
 JOY DIVISIONは何故か気に入っていて、1stともどもしばしば聴いていた。どんなバンドかを説明すると、さもありなん、といった表情を浮かべていたのが印象に残っている(NEW ORDERDEPECHE MODEPET SHOP BOYSとかも好きだった)。
 和泉宏隆は、家でゴロゴロしてるときとかに、かけるように言われたものです。この辺のFusion全般(和泉宏隆は、ex.THE SQUARE)も結構好きだったなぁ。
 他にもかけたい曲は山ほどあったが、その辺は家に帰ってから聴かせるコトにしてとにかく焼きに入り、その間に喪服に着替える。が、ここで意外な落とし穴が。昨年の春に法事に出たのですが(母方の祖父の33回忌。俺が生まれた病院に同時期入院しており、俺が生まれた20日後に亡くなりました。だから、厳密には俺は祖父に会っているそうです)そのときに母方の田舎の方に、革靴を置きっぱなしにしていたのです。父の靴は色々ありますが、如何せんサイズが全く合わない(俺は28.5cm、父は26cm)。スニーカーとかは論外、買いに行く時間も無い。苦慮した挙句、ブーツで誤魔化す事にする。脱がなければブーツだとは分からないのでOK!と自分を無理から納得させ、事なきを得る。
 14時過ぎ、会場の設営を終えた業者さんが到着。父を抱え車まで運び(ちなみに車は普通のバンで、霊柩車とかじゃない)そのまま会場へ。会場到着後、棺に父を納めます。その際に、父の遺品などを一緒に入れます。愛用のコート、ブーツ、一度も袖を通すことが出来なかった、おろしたてのスーツ、愛読書(本が好きだったので)等を納めました。相変わらず穏やかな表情で横たわっており、刻一刻と別れのときが近づいているというのに、未だひょっこり起き上がってくるんじゃないか、なんてありえない事を想起させるぐらいの穏やかさ。
 そういった作業を済ませた後は、ひたすら関係各位へのご挨拶やお礼に奔走。会場の住職さん、会社の社長、駅などに立ったり記帳を担当して下さる方々、父の旧い友人etc。ここら辺になってくると、緊張や疲労もピークにさしかかっており、ホント自分が何をやってるのか分からなくなってきます。
 そうこうしてるうちに、いよいよ時間も近づいてきます。席順や大雑把な進行の確認(牧師さんとかもいないんで、かなり流動的)などをしてから着席。2階でくつろいでいた方々(会食は2階、会場は1階なのです)を場内に招きいれ、スタート。
 まずは親族(つーか、俺)から献花を始めます。ちなみに、この際には花ではなく、茎の方を祭壇に向けて置きます。俺を筆頭に、親族〜目上の方(会社や取引先の上役や旧友)〜一般の弔問の方々といった具合に進行していったのですが、意外に皆献花を済ませても会場を後にしない。50脚弱用意した椅子が埋まってしまい、まだ入場出来ない方なんかも出てきてしまったので、急遽喪主である俺が挨拶をして、場内をローテーションさせる事に。
 いやいやいやいや。俺、挨拶するなんて聞いてませんよ?ナニ喋ったかは覚えてませんが、たどたどしくもお礼を述べて、何とかその場を切り抜けました。そうして、場内の方々には階上の会食の間に行っていただき、新たにお越しいただいた弔問客の方々を招き入れます。
 そうこうしてるうちに、ひとまずの目安であった19時を過ぎたので、親族の方々にも食事に行っていただいた(喪主である俺は現場を離れられないので、どのみち親族の誰かに上で接待をしてもらわなければならないし)のですが、何故か数人残ってくれまして、こちらを気遣ってくれました。何度か書きましたが、俺は親族とは本当に疎遠だったので、これは意外であり、また、とても嬉しかったのです。今後は、少しずつ親族とも付き合っていかなきゃなぁ、と思いました。
 結局、俺が食事に行けたのは20時半頃。大方のお客様は帰られ、現場で動いてくれた方々が食事をしていました。この食事が、意外にも美味しかった。仕出しなんであんま期待してなかったんですが、なかなかのお味。ひとしきりぱくついたところで、本日最後のお仕事。明日の火葬場での食事の発注や、今晩ここに泊まっていかれる方々(社長らが残りたいと仰ったので)の寝具の手配、会場のレンタル費の清算などなど。ついでに、残った料理をまとめて、会場に残った方にお出しする手筈も整え、一応の御役御免。最後にお香典や弔問客のリストなどの確認をし、21時頃会場を後にしました。
 さすがに帰宅する頃には疲労困憊だったのですが、ホントに誰もいなくなった我が家は、いつもの光景であるにも関わらず、何故か寂寥感溢れる空間になってしまっていました。もっとも、そんなセンチメンタルな気分に浸る余裕も余り無く、風呂に入って速攻ダウン。景気づけにかけていたSNUFFの"Reach"を聴きながら、泥の様な眠りに堕ちたのでした。