8/28 時をかける少女の記憶

 この日は、KDさん、MMさん*1、ODさん、HTさんと共に「時をかける少女」を観る約束をしてまして。前日は、サバトの疲れもあり「うたわれ」を見てから早々に床に就いたので、3時には就寝。で、いつもよりゆっくりめの7時半起床。この週末は遊び呆けてたし、今日も日中は遊びっぱなしなので、可能な限り仕事を進める。
 途中、HTさんにモーニング・コールを入れる。本来なら10時に電話の予定でしたが、武士の情けで10時半にメールという配慮をみせてみたり。が、これが裏目に出ちゃったのですが、それが判明するのは、数時間後・・・。キリが良かったので、そのまま出かける支度を整え、11時前に家を出る。11時過ぎの急行に乗れば、問題無く待ち合わせ時間に間に合う寸法だったのですが、ここでうっかりミスを犯してしまいまして。予定時刻よりも早く駅に着いてしまい、ただ待ってるのも億劫だったんで、一本早い鈍行に乗り、冷房と着席の恩恵に与りつつ一足先に乗り換え駅に辿り着き、余裕をもって乗り換えよう!などと浅はかなコトを思いついてしまい、即実行。鈍行に揺られつつ、DAG NASTYなんて聴いちゃったりして、優雅なひと時を堪能。
 程なくして隣の駅に到着。が、なかなかその駅から発とうとしない・・・。「時間調整でもしてんのかにゃ〜?」とか思ってましたら、背後に列車の通過音が木霊したので、ふと振り返ると、目の前を本来乗車する予定だった急行が、華麗に当駅をスルーしてる真っ最中だったり。
 ・・・・・・。
 とりあえずKDさんに遅れる旨のメールを送信し、速攻で路線検索。その結果、約束の時間よか10分ほど遅れるコトになりそう・・・。ワタクシ、基本的に遅刻=NGというタイプなので、素で凹みまして。とにかく、着いたら侘びを入れねば!と思いつつ、乗換駅で特急に乗車。これで遅刻は10分程度ですむ・・・と安堵してしまったのが運の尽き。ここで意識が途切れまして。ふと目を覚ますと、トンネル内を走行中。あら?次の乗換駅に着くまでには、トンネルなんて無かったよね・・・?
 !!!このトンネルを抜けた先って、終点じゃん!?まさに痛恨のチョンボ。本来なら、前述したように乗換駅を経るはずだったのに*2、思いっきり遠回りなルートになってしまい、時間も金もロスするという、如何ともし難い事態。またしてもKDさんに「にょろーん」なメールを送り、一人車内でうなだれるワタクシ・・・。ダメダメだー!っと逆ギレしそうになったトコに、HTさんからメールが。曰く「メールの着信音は無音だったので気付かず、今起きた」とのコト。・・・これは欠席のパターンだなw。一応、「来れたら来て来てー」とおねだりメールを出すも、結果は目に見えてたり。
 てなコトを経て、ほうほうの体で集合場所に辿り着き、皆に詫びる。スマヌスマヌ。で、気を取り直して劇場に。劇場に足を運んだのは、97年夏に「Air/まごころを、君に THE END OF EVANGELION」を観に行って以来。そもそも、映画なんてTVでやってるのぐらいしか観ないし。だもんで、正直「時かけ」とか観るのも乗り気じゃなかったのよねー。まぁスタッフが良いし、評判も上々だし、それなりに面白いんだろうけど・・・ねぇ?
 てなコトを脳内でこぼしつつ、当日券を購入し、若干前方の席に陣取る。場内は、初回上映というコトもあり、座席に充分な余裕が。適当に陣取り、しょーもない映画の予告編とかを観るともなしに観ていると、ただでさえ低めなテンションが益々下がる。ワタクシ、だいぶ治癒してきたとはいえ、基本的にはザクソンばり*3に斜め視点なタイプのオタですんで、世間的な話題作とかには懐疑的な先入観を持って挑んじゃうのですよ。ご多分に漏れず、今回も、のっけからそういう視点で見てまして「あぁ、意外とシンプルな作画だなぁ」とか「「僕等がいた」みたいな純朴なemo系ですか?」的な感想を内心毒づきつつ、冷ややかに観てたワケで。
 が、細かく丁寧な日常描写の積み重ねに、いつしか作品世界に興味を持ち始め、最初のタイム・リープのシーンで、完全に鷲掴みにされる。そっから先は、打って変わって主人公の一挙手一投足に翻弄され、共に笑ったり、不安に駆られたり、煩悶したり、そして泣いたり。
 なんつーか、この作品を前にすると、自分の中のある種の防壁*4など、あってなきが如しっつーか。そんなものをあっさりと取り払ってしまい、無防備な自分の心にダイレクトに響く、暖かくも力強い「なにか」。
 その「なにか」が、心に、深く静かに浸透していく。
 その感覚は、音楽を聴いたり良い作品を読んだときとかに味わえる感覚と同質ではあるのですが、その深度が桁違い。滅多に経験出来ないほどの深度であるが故に、体や心が上手く対応出来ず、えも言われぬ気分になる。こんな気分になったのは、2001年のNEW ORDER@フジロック以来か。世間一般でいう「感動」を通り越したような感覚っつーか。
 そんな感覚に戸惑いを覚えつつも、不意に、自然と、涙が零れ落ちる。感極まって溢れるように・・・ってカンジじゃなくて、気がついたら涙が零れ落ちていたという。感情と身体が上手くリンクせず、コントロールできない。なんなんだ、この状態。身体のみならず、錯綜する感情も制御不能であり、ある種の情緒不安定状態っつーか。余りにも身に覚えの無い感情なので、その落としどころに窮してるとでも申しましょうか。まさに「持て余す」ってカンジ。
 が、そんな状態は、物語がクライマックスに至るに従って徐々に収束していき、ラスト・シーンと共に昇華されまして。35年の人生でも数えるほどしか味わったことのない、深い深い充足感と、それ以上の虚脱感に見舞われる。エンドロールも終わり、客電が点いても、一向に感情の整理がつかない。皆と今の感動をシェアし合いたいのに、その想いを上手く言語化出来ない・・・。それは他の面々も同様だったようで、会話らしい会話も無く、フラフラとロビーへ。ワタクシ、気がついたら、パンフ、サントラ、主題歌のCDとことごとく購入しておりましたw。その後も、皆で言葉少なに壁に展示されてる「時かけ」関連の記事の切り抜き等をぼんやりと眺めてから、劇場を後にしたのでした。
観なきゃソンする!なんて野暮なコトは言わない。
でも、観たら、きっと「なにか」は得られるんじゃないかな、と。
それは2時間弱しかもたないかもしれないし、
一生の宝物になるかもしれない。
他の人がどんな感想を持つのかは分からないけれど、
少なくとも俺は、本当に観て良かったって思ったよ。
こういう作品を観て、素直に胸に響いたっていう事実は、ちょっと意外でもあったけど、とても嬉しくもあったり。
そんな自分は、とっくに磨耗して無くなってしまったと思ってたからね。
日常的に安売りされてる「感動」に反応するような心はいらないけど、こういう、自分の琴線に触れる作品を素直に受け止め、
照れずに真っ向から向き合おうとする気持ちは、いつまでも失わずに居たいものです。

ガーネット

ガーネット

時をかける少女 オリジナル・サウンドトラック

時をかける少女 オリジナル・サウンドトラック

*1:KDさんの奥様

*2:当然、そのルートが一番早い

*3:80年代初頭の斜め視点スクロールのシューティング。「メルヘンメイズばり」と言ったほうが、まだ分かり易かっただろうかw?

*4:自分はオタであり、知られざる名作とかを数々と平らげてきてるんだから、こんな超メジャーな作品など、易々と評価しないぜっていうような、矮小なプライド