いろいろ考えさせられることが最近多い。それは直接的にも間接的にも、俺自身と無関係ではない。
 何度か書いたことがあるが、物事は視点によって受け止め方が容易に変わってしまう。そして、その受け止め方の変容は必ずしも間違いではない。三角錐を例に挙げてみよう。それを真横からみればそれは「三角」だし、真上からみれば「円」。ちょっと角度を変えれば「三角錐」。そのどれもが真実ではあるが、それが全てではないのも、また事実。でも、往々にして人は物事を様々な角度から検証したりはしない。それが自分にとって興味がないことなら尚更だろう。
 そんなちょっとした視点の違いは日常において数限りなく生ずる。一つ一つの違いは大差なくとも、それが積み重なることによって、やがては決定的な差異が生じたりもする。そうなってしまうと、その差異の修正は容易ではない。なにしろ、枝葉末節の違和はあるにせよ、基本的にどちらも間違った視点ではないのだから。
 俺がネットに興味を持った理由の一つに「ニュースの和訳」がある。9.11のテロなんかのときに顕著だったのだが、同じニュース・ソースを扱っても各局によって訳し方は様々だし、同じ局内でも1時間くらいのスパンでガンガン訳が変貌を遂げていく。結果的に、随分ニュアンスの異なる和訳が方々に報道されていく。そういう状況を目の当たりにしていくと、既成のメディアの情報そのものに懐疑的になっていく。そこで告げられていることは本来の出来事の一側面でしかない。だから、容易に様々な視点からの報道をチェック出来るネットに惹かれた。側面を多数眺めることにより、出来事の本質に近づくことが出来る気がしたから*1
 その目的は、今のところ果たせている。ネットには無数の視点が存在しており、中には自分の認識を凌駕するような神視点も存在するw。自分が思いもよらない視点っていうのには、いつも感心させられる。それが自分の意にそぐわない視点だったとしても、それを反面教師として役立たせれば良いワケで。
 ただ、視点そのものは興味深かったりしても、その伝え方に疑問を呈さざるを得ないコトはままある。これはネットに限った話ではないが、単純にデリカシーや配慮といったものに欠けるきらいがある気が。分かり易く言えば、自らの考えや発言を発表することにのみ注力してしまい、その考えや発言が対象に及ぼす影響などを全く考慮しない伝え方が目立つ。かてて加えて、その発言などによって「自分」が「他者」からどう思われるのかという観点も欠落風味。そこら辺をもう少し考えると、議論とかも建設的に進むと思うんだけどね。
 脱線するが、俺が考える世間的な「俺」のイメージは

  • 30過ぎてエロ同人誌ばっかり買ってるヒッキーなキモヲタ
  • 説教臭い身の程知らず
  • 音楽ネタとかも交えて非ヲタをアピールするのに必死でつか?
  • なにかっつーと昔話ばっかで抹香臭い
  • 中途半端な知識ひけらかして悦に入ってる厨坊
  • 作家に媚を売ってる提灯持ち
  • つーかブタはウザいから氏ね

ってなトコだろうか。なんつーか、我ながらなかなかな悪口雑言ぷりだなw。俺は常日頃からこう思われてるであろうことを踏まえつつ、こういう日記を書き続けていますw。真性のMかよw!
 id:PIG-M:20041004でも似たようなコトを書いたけど、web上のように不特定多数の他者が存在する場では、なにげにポロっと発言した一言が思わぬ波紋を呼んだり、その一言で傷つく人がいるかもしれない、ということにも心を配るべきではないだろうか。これはとても簡単な話で、要は「自分が言われて不愉快なことを他人から言われたらどう思うか」というコト。他人の作品、趣味、思想etc、全ては人によりけりであって、脊髄反射的に「嫌い」とか「死ね」とか「キモい」とか軽々しく言葉にするのはいかがなものかと。自分がそう言われたとき、どんな風に思うかをもう少し考えてみても損はしないんじゃないかなー、とね。ま、あたしゃドMなんで罵倒されるのは嬉しいんですがねw。
 俺は単純なんで、他人から優しくされたら嬉しい。で、嬉しいと他人に寛容に、優しくなれる。常々そうありたいと思うから、出来るだけそうするように心がけている。「思いやり」なんて標語にするとウザいけど、そういうごくごく当たり前なコトをちょっと心がけるだけで、意外と晴れやかな気分で一日を過ごせたりするものです。大袈裟に言えば、そういうトコから人生なんて変わっていくんじゃないかね?少なくとも俺は普段から心が澱んでるんで、これぐらいしないとダメなんだよw。

*1:本質そのものが見えてくるなんてコトは言わない