5/4。あっという間に時間は過ぎ去り、いよいよ今日、父の亡骸を荼毘に伏す。10時半から告別式なので、10時前には会場に出向く。昨日ほどではないが、今日も大勢の方が父との最期の別れのために集まって下さいました(結局、二日間で155人(notのべ人数)の方が来て下さいました。通知の方法やG.W.という時季を考えれば、多すぎるぐらいです)。
 告別式は、弔電を読み上げたり喪主(俺)が挨拶をしたりして、最期に父の棺の中に献花の花や祭壇の飾りつけの花などを敷き詰める、といった流れ。お通夜に比べるといささかグダグダ風味は否めません(弔電は業者さんが読み上げたのですが、正直俺が読んだ方がスムーズだったと思うw)。最大の懸案だった喪主の挨拶ですが、なに喋ったのかは覚えてません。事前に多少は考えたのですが、奇をてらわずに、そのときの素直な心情を吐露しました。ちなみに、これは別に原稿を読み上げたりしてもかまわないので、自分の言葉で喋るのが肝要(例文とかを真似る必要は無い)。
 最期に、父の棺に花を添えます。献花の花(白いカーネーション)は参列者一人一人が。祭壇の花篭の花などは、親族や近しい人たちがめいめい添えていきます。その合間に、硬球やキャップ(父は野球部だったので)なども一緒に納めます。
 全ての花を、棺いっぱいに敷き詰めたところで、いよいよ出棺。俺は父の遺影を持ち、父の姉が祭壇に飾っていた十字架を持ち、親族や友人らが棺を担ぎます。外では参列者の方々が並んでおり、その間をしずしずと進み、棺はバンに(やはり霊柩車ではない)俺は遺影を抱えたまま、その車の助手席に。タイミング的には致し方ないのですが、参列者の方々にろくすっぽお礼を言う間もなく、火葬場まで向かう方々を業者さんがマイクロバスに誘導し、そのまま発車。なんつーか、やたらあわただしかったのですが、これには一応理由もありまして、火葬って結構システマティックでして、事前に荼毘の時間を設定し、その時間に合わせて炉を余熱しておくんですね。だもんで、なによりも時間厳守。早く火葬場に着いてしまえば、まだ余熱不足で待たされるし、無論時間を過ぎるなんてもってのほか(後がつかえてる)。だもんで、連休中の道路状況なども鑑み、早め早めの進行と相成ったのでした。
 幸い火葬場には12時前に到着(12時半がリミット)。近未来型ストレッチャーみたいな(車輪が無く、なんか電動っぽかった)器具に棺を載せ、ゆるりと炉へと向かいます。炉の前に着いたら、いよいよ最期の別れです。5/1の母とのやりとり以降では、この瞬間が最も辛かった。最期まで付き合ってくださった20名以上の方々にお別れを済ませていただき、俺が最期に別れの挨拶をしました。特に意味はなかったのですが、最期に額と額をつけ、心の中で別れの挨拶を済ませました。
 棺が閉じられ、炉の入り口が開かれます。そして、ゆっくりと棺は炉の中へと納められ、定位置についたところで、その口が閉ざされていきます。いろんな思い出が走馬灯の如く脳裏を過り、不覚にも泣きそうになってしまいましたが、なんとか堪える事が出来ました。こうして、父は荼毘に伏されたのです。
 その後は、父が灰になるまでの間、会食をして時間を潰します。ここで初めて気がついたのですが、火葬場って凄い込んでるのね。連休中だからなのか知りませんが、やたらめったら人がいまして、大盛況。そりゃあ会場もおさえられないわな。
 ちょっとした会議室みたいなところで、食事を召し上がっていただきました。その間に、俺は昨日今日の食事代の清算ですw。_| ̄|○<食事代で60万超えたよ・・・。ゴチの最高額を裕に超える請求額に、軽い眩暈を覚えましたよ。
 そうこうしてるうちに会場側からアナウンスが入り、現場へ戻ります。金属(ステンレスっぽい)の台の上に、ものの見事に骨の山と化した父が。・・・これはちょっと、効いた。その骨は、下半身、上半身、頭部に分けて置かれていて、火葬場の職員さんが極めて流暢に骨についてレクチャーして下さいました。つーか、博物館の恐竜の骨じゃねぇんだから、微妙に嬉しそうに解説するんじゃねぇよ。マジで殴りそうになりました(刺されても文句言えねぇぜ)。ともあれ、父の骨はかなり原型を留めており、生前の健康さを図らずも裏付けておりました(不健康っていったらナニですが、丈夫じゃない骨は焼却の際に灰になってしまうらしい)。骨は正直なもので、父は腰がちょっと悪かったのですが、腰骨とかは砕けてんのね。足や頭蓋骨、喉仏など、一般的に崩れ易い部位がかなりはっきりした形を留めていました。ところどころ緑とかの色がついていたのですが、それは棺に納めた物が焼けた跡だそうで。
 ひとしきりレクチャーが終わったところで、骨を骨壷に納めます。ちなみに、足から順に納めていきました(骨壷の中で座ってる様な形にする為(仏様を疲れさせない配慮)だそうで。キリスト教とかでも関係あるのだろうか)。初めは二人一組で一つの骨を持って納め(挟みわけ、とか言うらしい)後はめいめいで納めます。細かい灰などは、火葬場の係員が塵取りで集め、骨壷の中へ。
 こうして父は骨壷に無事納められ、納骨の儀も無事終了。これにて、父のお葬式は終わったのでした。
 骨と化した父と共に家に帰り、遺影を飾り花を供え、ようやく全てが終わりました。緊張や疲労のピークはすでに超えており、全身全霊に虚脱感と虚無感が襲い掛かってきました。それでも、まだやるべきことは残っています。母に無事葬儀が済んだ事を伝え、世話になった方々にもお礼の電話を入れ、ひとまず御役御免。一応、喪主として出来るだけの事はやり終えたのでした。